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持論を展開するときは「嫌われ」と「場所ごとの振る舞い」を意識する

time 2015/11/02

持論を展開するときは「嫌われ」と「場所ごとの振る舞い」を意識する

私は割と自分の意見を懐に隠しておくことができないタイプで、今のあるシステムでは何がいけないか、などということを延々と理論だて(ているつもり)で語ることがあります。

しかしそういうことが発端となって自分自身が誰かに嫌われたりするのが怖いとか、そもそもこのブログはそういう意見を表明するのにふさわしい場所であるのか、という疑問を持つことがあります。これらを自己解決するために、少々考えてみました。

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世界を変えることはある程度嫌われること

ペンは剣よりも強しと言いますが、インターネットが発達した現代においては、ある1人の発言で世論が大きく傾くなどということがあります。その結果の良し悪しは置いておくとしても、何でもない一般人が世の中を変えることは可能であるわけです。

私は自分が身を置く世界の居心地が(主観的に)少しでも良くなるよう、常に何かし続けたいという性格ですので、それを利用したいと思っています。つまり、今の何らかの体制が気に食わなかったりすれば論理づいた批判を行い、周囲の一部の人のみではあるかもしれませんが、少しでも他人の意識を自分が正しいと思う方向へ向けたいということがあります。

ただし。意識というのはパーソナルエリアであって、不用意に自分の論理に合わない意見が介入してきてそれが乱されると、ほとんどの場合反感を抱くことでしょう。それどころか、私がする批判がネットによって広まり大規模になると、私という個人を嫌うとか、いわゆるアンチになるという感情が芽生えてきます。

そういう事象を怖がるというのは、そもそも正常な精神状態であれば正しいことなのですが、ちょっと解釈を変えるべきかもしれません。

自分への批判やアンチがつくということは一見非常にマイナスなように見えますが、本当に世界を変えようと思っての行動の結果ならばむしろ喜ぶべきなのです。というのも、反感を抱かれるだけではこちら側には何一つ伝わってきませんが、嫌ってくれるなどすれば行動として現れ、見えるようになります。つまり、私の持つ意見や信条に対して何らかの批判があれば、それは世界の淵から何かが変わっている証拠なのです。「クリティカルヒットして焦らせることができた」と思っておけばよいのです。もちろん明らかに相手を傷つけるような意見でないことは大前提での話ですけれど。

当然、その私に対する批判も理論的で的を射ていることが望まれます。単なる暴言などであれば何かが変わっている証拠の確認にはなりますが、自分の理論を修正する手掛かりには全くなりませんので正直役に立たないのです。こういう場合は真面目に内容の意味を考えるまでもありませんので、そういう意味でも自分が傷つくことにはつながらないのではないでしょうか。

ともかく、不用意な発言で炎上などする場合もありますが、もしもそれが自分の信条を遵守しているものであるのだとすれば、炎上も全く悪いことであるとはいえないわけです。無論、その発言が絶対悪である場合は救いようがありませんが。

場所ごとに振る舞いを決める

上記に基づけば怖いものなしと言ってよいかもしれませんが、場所ごとに振る舞いを考えなければなりません。自分が住む場所の居心地はよく、ということは当たり前のことで、余計に波風立てないのが重要です。

さて、私の活動場所といえばTwitterかこのブログです。Twitterは基本的にタイムラインに流れてきた内容について勝手に議論を始めることがありますし、そもそもそういうことをするアカウントだと理解があるから(もしくはどうでもいいか)こそ、フォロワーにはフォローし続けていただいていると思っています。

そう割り切れるならそれでいいのですが、問題はこのブログです。当然自分の意見を広める対象は大きいほうがよいわけですが、そもそもこのブログの役割を考えた際には、適当であるのかどうか。

このブログは、ずっとお読みくださっていればお分かりだと思いますが、「マイナーなコンテンツを紹介(当然ポジティブに)」といったことがテーマです。その目的を達成するためには、ネガティブな意見が紛れ込んでしまっては逆効果です。

ということで、今後は持論に基づくネガティブな論述はこのブログ上ではしないようにしたいと思っています。逆に、例えばニュースなどに対して、複数の情報源から帰納的に考えられる結果などを書くのであれば、それには中立性が見出せるようになるためよいのですが、完全に自分の論理に端を発する問題の提起は控えたほうが良い、と判断したということです。

これは何も自分の意見を飲み込みたいからというわけでなく、あくまでも自分の居場所や目的を見失わないために、一体どこが適切か、適切でないかを判断すべきであるということ。

ここでは考慮していませんが、さらに効果的であるかどうかも場所ごとの振る舞いに影響します。誰も見ていないようなブログに意見を書き込むのではなく、ニュースサイトのコメントとして投稿するなど、より万人の目に触れるように対策しなくてはなりません。

ともかく私の言いたいことは2つで、

  • 嫌われることは意見が広まったことの指標。喜んでもよい
  • ただし恐れ知らずに意見を述べるのではなく、自分の居場所がどこなのかを考慮しよう

ということ。自分で書いておいてなんですが、肝に銘じておきたいと思います。

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